春先

カウンターが回転してるという事は、読んでくれてる人も居るらしいと気付くにつけ、この更新頻度が申し訳ない。
2月も、あと一週間ほどですね。ということは、あと一週間ほどで春になるワケで季節の変わり目は、何となく浮き足だちます。
子供の頃、春休みの解放感の中、生ぬくとい春風に吹かれ、まだ冬枯れの土手を駆け上がって遊んだ時の気分が、今に至るまで数十年間春先になると甦ります。のどかで生暖かくてうら淋しい、思春期そのもののような気分だったなァと思い出すにつけ、浮き足だって来るのです。

脱力

もう行かなくなってしまったけれど、東洋哲学の真髄を体得したいなどと意気込んで通い始めた中国武術の教室では、参加するたびに力が入りすぎて体が固くなってると言われた。力を抜く事で強くなり、強くなるほど体は柔らかくなるという話が本当に魅力的だった。日常生活において、常に肩に力の入るような思いは、自分の 思い通りにしたいという欲の表れかとも思う。人を競争相手と見なせば肩に力が入るけれど、人の哀しみに目をやれば力 が抜ける。本当に強い人は、哀しみを知る人か。

適者生存

写真は、初詣先で臨時の駐車場となっていた廃校のすみに見つけたもの。
「適者生存」と刻まれております。
そりゃ、まあ進化論的には適者生存で間違い無いでしょうが、あえて石碑にしてまで訴えてるので迫力があります。
最近読んだ「働かないアリに意義がある(長谷川英祐)」 によると、現状では生存に適さないような個体も、長いスパンで考えればその個性が環境の変化による全滅から免れる性質だったりするということなので、何が適者かは簡単ではないようなのです。色んな個性のバリエーションを保つことの方が、適者になろうと頑張るよりも人類存亡の為には大事かもしれません。というわけで、教育現場にはどちらかというと「適者生存」よりも「共存」の方でありませう。



2013年

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。今年はもう少し更新を増やし、ブログを通しての交流などもしてみたいです。(こっそり読んでる猫ブログにコメントするとか、そんなような・・・・)年頭なので、去年とある本から見つけて、メモに書きつけといた詩を記して、年頭の所感とします。聖フランシスコの「平和の祈り」といいます。



神よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。


慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されることよりも愛することをわたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、自分を捨てて死に、
永遠の命をいただくのですから。



もちろん私はクリスチャンでは無く、この祈りのような生き方をしてきたわけでも、このように生きられる自信も無いですが、遠くの頂きを仰ぐように、憧れるのです。信仰も持たず、憧れだけで頂きに近づけるなどと思ってはいけないかもしれませんが、とりあえず祈ってみるのです。新年だし。

石破幹事長

衆議院選挙関連のテレビのインタビューに答える自民党の石破幹事長を見て、どういう生き方をすればこんな目つきになるのかと思いながらネット検索などしてるうちにすっかりはまり込んでしまい、今や日々の想いの8割は石破幹事長が占めるほどなのです。これは、まさにジャニーズの追っかけをするギャルや韓流にハマる御婦人たちと同じ状況であるのですが、カッコいいジャニーズや韓流イケメン達と違い、いったい何にトキメイてるのかよく分からないのです。実際、この方は、非常に女性に人気があるそうなのですが、わかる人にはという類の魅力なのでせう。
垢抜けない風貌に漂う品性。底知れぬ知性と俗なオタク趣味。酷薄な眼差しと優しい笑顔という風な落差に幻惑されるのでしょうか。幻惑というのは、他者に想像を(妄想を)許す余地があるという事で、どんなにハンサムで有能で優しくても、これが無ければ萌え(色気)というようなものは無いでしょう。もう今年も終わりなのに、いったい何を書いてるのか・・・と思うのですが、好きなので続けます。他者に想像を許す余地というのは、その人の心の揺らぎや迷いだと思います。何かを信じ切らない、頼りきらない、思い込まない人には色気があります。石破幹事長のように、権力の揺るぎない座に今あればこそ、そういう色気は際立つのだと思います。だから何なのかと、ここを読む人は思うでしょうが、人を好きになるというのは、だから何とは一番遠い行為なのでありますョ。よいお年を。変な話題ですみません。

空模様

彼岸もすぎて、日が短くなりました。外のコオロギの声が聞こえてるのですが、澄んだきれいなエンマコオロギの鳴き声よりも素朴な感じのツヅレサセコオロギの声の方が目立ちます。
←A ←B ←C
写真Aは、7月下旬の空。Bは、8月中頃。Cは、9月の初め。
こうして並べてみると季節による雰囲気の違いが分かる気がしませんか。
思えば一瞬とて、同じ空がとどまる事は無いわけで、変わり続けるからこその新鮮さ(美しさ)なのであり、変わり続けることこそが新鮮さを失わないコツなんだろなぁと、人生に重ねてみたくなるのです。